ジャーナルJournal

Journal Vol.3

上ヶ平 ちよ子さん(大関屋旅館 女将)

70年、お祭りの日に
出歩いたことは一度もないわね。

とびきりの笑顔で、ツルツルお肌の秘訣を「使っているのは化粧水1本だけなのよ」と教えてくれたのは、古川町のアイドル、大関屋旅館女将の上ヶ平 ちよ子さんです。1924(大正13)年生まれの上ヶ平さんは、古川に嫁いで以降、名物女将として町の変遷とともに生きてきました。

終戦後からお客様を迎え続ける女将の古川祭

私は高山市国府町のタバコ屋で、11人兄弟の10番目の子どもとして生まれました。製糸工場などで働いていましたが、終戦で実家に帰って。ここにお嫁に来たのは23歳のときで、今年で73年目になるの。
だけど、いままで外に出て古川祭を見たことはないわね。宿屋はお迎えするほうでしょ。お祭りの日は、宿泊されるお客さまにご夕食を早めに召し上がっていただいて、お客さまがお祭りを楽しんでいる間に、私たちは後片付けをしたり、寝具の準備をしたりするのね。夫や息子は、当番が来たらお祭りに参加しなければならないけど、宿屋の女将さんはお祭りの日だからといって、いい着物なんて着ておれんのよ。

でもね、お部屋を整えたりしていると、神輿行列やお囃子の音とか、参加している人や観光の人たちのざわめく声が聞こえてくるでしょ。その音でお祭りの進行が分かるの。うちの旅館の前を通りますから、音が大きくなってきたら、一旦は手を休めて、戸口まで見に行くことはあるわね。
お客さまの多くは、大関旅館側と向かいにある駐車場側の二手に分かれて起し太鼓をご覧になります。以前、提灯の持ち手が、お客さまのほうに提灯を向けて触らせてくれたらしいの。お客さまがおっしゃるには、提灯に触れたときに、ものすごく勇気をもらったって。そんなふうに、お客さまが喜んでお帰りになってくださると、私たちも嬉しくなりますね。

祭りの定番料理と、変わったことと、変わらないものと

お祭りの日の夕食は、お客さまがお嫌いでなければお赤飯をお出しします。三種の神器じゃないけれど、飛騨地域で昔から食べられているわらびやぜんまいの煮物、炊いた笹タケノコ、漬物、それにイモの天ぷらやお刺身が、大関屋の定番です。
以前よりも古川祭が有名になって、いろいろな国や地域から観光でお越しになる方が増えてきましたから、警察からも「スリに気を付けてください」と言われるようになったわね。だから私たちもお客さまに「貴重品は用心してくださいよ」とお伝えして送り出すようになりました。それから、宿泊客ではない観光客の方が「お手洗いを借りたい」とお越しになったときに、お断りするようになりました。意地悪に感じられる方もいるかもしれないけれど、私たちは宿泊のお客さまの大切なお荷物を預かっているから、仕方がないのね。宿屋さんもぼーっとしておれん時代になったけど、これも女将の仕事ね。

町で変わらないのは、コイが泳ぐ瀬戸川と、川沿いのお寺の景観。これは古川ならではと思います。川に積もった雪を流す関係で冬はコイを避難させるけど、4月の古川祭のときにはコイを戻していますから、観光でおみえになるときには、瀬戸川沿いも歩いて欲しいと思います。古川は大企業がある大きな町でもないし、観光一色の町でもなくて、普段は静かな町です。「のんびりできるから」とおいでになる常連のお客様も多いのよ。

ライター:干川美奈子 撮影:早坂直人[Y's C]

大関屋旅館

飛騨市古川町弐之町6-15 電話0577-73-2107
もともとは商人宿で、古川祭でも出店する業者の人たちが多く宿泊していた。現在は旅行客を中心に、ビジネス利用客も広く受け入れており、女将とのおしゃべりを目当てに宿泊する客も多い。神輿行列、屋台、起し太鼓と、すべてが旅館前を通る好立地にある。JR古川駅から徒歩約8分。

大関屋旅館