Journal Vol.8
三嶋 順二さん(三嶋和ろうそく店 7代目)
年を重ねたら裃をつけて神様行列や屋台警護。
いつまでも現役です。
三嶋順二さんは、創業から200年以上続く「三嶋和ろうそく店」の7代目です。生まれ育った古川町壱之町には鳳凰台(ほうおうたい)の屋台があり、三嶋さんは未就学児のときに摺鉦(すりがね)を叩いて以来、70年近くにわたって古川祭に参加しています。
古川祭ってね、出たくて、出たくて、出たくて、出たくてーー楽しみなんです。町の人はね、待ち望んでいるんです。もう70代なので私は付け太鼓は卒業しましたが、それでもちゃんと出番があります。紋付羽織袴姿で裃(かみしも)をつけて、御神輿行列であったり、屋台の警護であったりといった役を担いますから、まだまだ現役です。
私が子どもの頃は、幼稚園で摺鉦(すりがね)を練習し始めて、小学生に上がると太鼓、高学年になると笛を覚えました。屋台によってお囃子がそれぞれ違うんですが、私たちの鳳凰台(ほうおうたい)のお囃子は、速度が比較的ゆっくりなんです。
どーんてーててーどーん どーんてーてーてーてー どーんてーてー……。毎年参加しながら、自然と鳳凰台のリズムを体に染み込ませていくんですね。
鳳凰台は、上段屋根の前後にいまにも羽ばたきそうに羽を広げた鳳凰があり、左右対称のバランスがいい屋台です。見送りも鳳凰が飛舞(ひぶ)しているところで、また、屋台下段を囲む龍の彫刻も見事、なんとも美しいんです。
その屋台で、子どもの頃、漆や金具の部分に素手で触れてしまったときに、大人たちから厳しく叱られました。あれは今思い出しても怖かったですね。鳳凰台は大正時代に作られた飛騨の匠の技が施された屋台ですし、神聖なものです。屋台を大事に扱うことにかけては、どの台組の方もピリピリしていました。
御神輿が通る道を清めるために今は塩をまきますが、昔は家の前の道路が舗装されていなくて土だったので、赤土をまいていました。子ども会で山に行って赤土をとってきて自分たちの町内に配るんですが、これがなかなか大変だったことを覚えています。
でもね、そういった一つ一つのことから、神様をお迎えするお祭りであるという意識が、子どもの頃から芽生えていくんです。古川祭は、「動の祭」の起し太鼓が注目されがちですが、「静の祭」の御神輿行列では神様が各家の前を通られますし、それぞれの屋台も素晴らしいものです。町内にすべての屋台が一列に並ぶタイミングもあって、それはさながら時代絵巻の世界です。観光客の方には、静の祭も注目していただきたいですね。
白い和ろうそくは日常使いに、朱い色の和ろうそくはお祝い事やお彼岸、ご法事等に使います。古川町で毎年1月15日に行われる「三寺まいり」は、町内の3つのお寺を巡拝するおまいりで、200年以上続く伝統行事です。この日は瀬戸川沿いに赤と白、両方の和ろうそくを立てますし、三つのお寺には13キロ以上もする大きな和ろうそくを奉賛会の方が作って奉納しています。
お土産は、うちの和ろうそくをお土産にと購入される観光客の方もおられますし、「井之廣製菓舗の味噌煎餅」や「渡辺酒造の『蓬莱』」「蒲酒造場の『白真弓』」といった日本酒、飛騨牛等が定番とされているお土産です。でも、こうしたものは私たちの生活に根付いているものなので、特別なお土産ではないように思うんです。木造建築のすばらしさや、碁盤の目のようにきちっと整った城下町と、古川の人たちの人情。物よりは町全体が、来てくださった方の一番の心のお土産になるのではないかと、私はそう思います。