古川まつりをもっと知りたい方に

「古川祭」 はいつごろ始まったのですか
天正十七年(1685)頃といわれていますが、盛んになったのは、飛騨が天領となった元禄五年(1692)以降のことです。その後屋台や、起し太鼓が加わるなど、時代と共に変遷を重ねながら現代に至っています。
祭り屋台はいつごろ作られたのでしょう
古川祭の屋台が、いつ頃創建され  曳行されはじめたかは不明です。 金亀台に安永五年 (1776) 建造の記録がありこれが古川の屋台の最も古い建造のようです。その後、天明二年 (1782) には、九台の屋台が曳行されています。
「起し太鼓」は、いつ始まったのですか。
文献の上では、天保二年 (1831)に初めて、定式として認められています。
とても立派な「御神輿」ですが…
明治五年(1872)に完成したもので、重さは約一トンあり、とても大きくて、豪華です。行列を知らせる走り太鼓を先頭に、屋台の台名旗、裃姿の警護役、雅楽、神楽など、三百数十人により、華やかな時代絵巻が、祭りの二日間にわたって繰り広げられます。
御神輿行列の通る道に塩がまいてありますが
道路を清めるためです。また神様を自分の家へお迎えするために、道の中央から枝分かれして、家の戸口までまきます。昔は山からかま土を採ってきてまいていたようです。
見送りとは何でしょう
屋台の背後に下げる意匠をこらした絵や書のことです。うしろ姿を見送るという意味があり替見送りは十九日、本見送りは二十日と掛け替える屋台もあります。前田青邨 (麒麟台)堂本印象 (青龍台)など一流の画家の絵をさり気なく見せる古川やんちゃの心意気をどうぞご覧下さい。
屋台の役割は何でしょう。
御神輿に先行して警護するためのものでしたが、今ではこの役目は台名旗が代行するようになり、きらびやかな屋台は祭礼を華麗で壮厳なものにしています。
屋台はどうやって街角を回るのですか。また電線にかかりませんか
屋台には「戻し車」という回転用の車輪が備えられています。四ツ角を回る時は、後部の戻し車(通称中車)を下ろして、後輪を上げ三輪にして、屋台を回転させます。屋台道路共傷めず、人手もあまりいらない方法で、飛騨の匠の知恵と技が生かされています。 また屋根部分は下げることができます。移動する時や蔵に納める時は、背を低くします。電線が邪魔になる通りでは、屋台組の人達が、竿で電線を押し上げて進みます。また、商店街の街灯の向きさえも、屋台のために変えるところもあります。
からくり人形はどんな仕掛けですか
「糸からくり」といって、糸を引くことにより、巧妙な動きをします。麒麟台の唐子の人形は、謡曲「石橋」に合わせて、二十条の糸を八名であやつり、唐子が獅子頭をかぶって舞い花吹雪を散らせます。また、青龍台では、福禄寿と唐子人形が二十五条の糸であやつられます。唐子が梯子を登ったり、亀が鶴に変身するなど、こちらも見どころの多いからくりです。人形の綱付けや、手振り、身振りなどに細心の注意がはらわれています。どちらも木偶(からくり人形)保存会の若者によりあやつられます。
屋台の並び順は決まっていますか
先頭神楽台、次位三番叟と決まっていますがあとの八台は抽籤祭で順序が決まります。主事組の屋台は最後尾に並びます。(休台中の三番叟は、台名旗が参加しています。)
屋台は普段はどこにありますか
各台組に屋台蔵があり、大切に保管されています。また、三台の屋台は、飛騨古川まつり会舘に展示されて、年間を通していつでも楽しんでいただけます。この三台は、古川祭の前と後では入れ替わり、また秋には屋台交替式が行われます。
「起し太鼓」の意味は
いろいろな説があるようですが、町の人に祭りの開始を告げる合図として、目覚ましのために打ち鳴らされたのが始まりといわれています。
「付け太鼓」って何でしょう
各台組の紋が描かれた小太鼓を、長さ三メートル余の棒に麻縄で縛りつけたもので、大太鼓の櫓の後部に付けるものです。町内の名誉をかけて、十二組の付け大太鼓が激しい先陣争いをくりひろげます。また、櫓が近づくのを街角で待ち受けている間には、「ぜんぜのこ」 を唄ったり、垂直に立てた付け太鼓に登ったりして、気勢を上げ、古川やんちゃの心意気を大いに見せています。
太鼓打ちはどうやって選ばれるのでしょう
三月の抽籤祭で「起し太鼓主事」に決まった当番地区から選ばれます。大変名誉なこととされており、「上打ち」「横打ち」各二名づつが途中で四回交替しますから、二十名が選ばれることになります。屋台組よっては、木偶(からくり人形)保存会の人が優先的に選ばれるというようなこともあります。
太鼓のばちについて教えて下さい
太鼓打ちに選ばれた若者が柳の生木で自ら作ります。生木は丈夫で割れにくく、また柳は白くて美しいばちに仕上がります。直立の姿勢で打てるように「そり」の入った独特の形状となっています。
櫓の上の人達はどういう役割がありますか
前部中央には、起し太鼓の最高責任者「総司(そうつかさ)」が乗り、出立祭神事のあと、開始の挨拶をします。拍手と大歓声が湧き気分が盛り上がると太鼓打ちが太鼓にまたがり、いよいよ打出しとなります。櫓上の「本衛」は弓張提灯を振って起し太鼓の進行方向を示します。
裸男は何人くらいでしょう
約千人ほどが、古川やんちゃの心意気とばかり、激しくもみ合いぶつかり合います。すべて町内の男性だけです。
女性の役割は何でしょう
起し太鼓主事の組では、紅白の丸子提灯を持って起し太鼓行列に加わります。一千余人の丸子提灯の光の波は、暗闇に浮かぶ光の帯となって、深夜まで古川の町を進み、起し太鼓を先導します。後ろに続く勇壮な裸男とは対照的な幻想的な美しさで起し太鼓を盛り上げます。また、裃の着付けをしたり、お客様のための料理を準備したりと大忙しとなります。屋台組によっては女の子も屋台囃子や子供歌舞伎に参加して積極的に祭を盛り上げるなど様変わりしてきています。雅楽で活躍する女性もあり、起し太鼓に女性が登場する時代が来るのでしょうか?
祭りのご馳走にはどんなものがありますか
毎年祭りのご馳走(ごっつお)に頭を悩ませるものですが一般的には、お吸い物、酢の物、山菜料理など春らしい料理が並びます。昔から必ず登場するものの一つに「天ぷら饅頭」があります。あんの入った饅頭に衣をつけて揚げたもので、特に女性に人気です。また「ぎせい焼」はすりつぶした豆腐を塩、砂糖で味付けして黒ごまを入れて焼いたもので、伝統的な食べ物です。ごぼうや山菜のアズキ菜、大豆を味付けしてカリカリに香ばしく揚げたものは「つかげ」といって、上手に作るのはむずかしいものなのですが伝えてゆきたい古川のおふくろの味です。天ぶら饅頭、ぎせい焼、豆つかげは今では年間を通して製造販売されていて、観光のお土産としても人気があります。

古川まつりをもっと楽しみたい方に

起し太鼓の打出しを見たいのですが
起し太鼓の里まつり広場で、午後九時から、出立の神事があり打出しとなります。起し太鼓の大きな見どころですので、是非ご覧下さい。大変混雑しますので、どうぞ時間に余裕を持ってお出かけ下さい。また毎年冷え込みますので暖かくして見物して下さい。
打ち出しのあとの楽しみ方は
見物人の多い大きな四つ角では「付け太鼓」が大太鼓に付けようとして、激しいもみ合いぶつかり合いがあります。順路地図で場所を確認しながら先回りして待つのが良いでしょう。こちらも混み合いますから足元には十分注意して下さい。「ぜんぜのこ」が聞こえ、高張提灯を先頭に提灯行列がゆらゆらと波打つように近づいてきます。そして起し太鼓の櫓が通過しようとする瞬間、横合いから「付け太鼓」がいくつも飛び出し、激突します。古川やんちゃのぶつかり合いを大いに楽しんで下さい。起し太鼓順路は、毎年変わりますが町内各所に張り出される順路図やパンフレットで確認されると良いでしょう。付け太鼓のいちばんの見どころは、壱之町蒲酒造場と渡辺酒造店の交差点です。ライトに照らし出された太鼓打ちがまたがる大太鼓を乗せた櫓は、激しいもみ合いに、大きく揺れ、ワッショイワッショイの付け太鼓の男衆の声が重なり合います。
けが人は出ませんか
意外にも大きなケガはありません。神事としての節度が守られているのでしょう。
参加することはできますか
原則として気多若宮神社の氏子以外の人は参加できません。
子供歌舞伎、からくり人形を見たいのですが
十九、二十日共、奉納時刻は年ごとに変更となりますので、お問い合せ下さい。雨天の場合には、屋台蔵でご覧いただくことができます。
どれくらいの人出がありますか
二日間で約五万人とたくさんの方にお越しいただいています。起し太鼓は混雑が激しく早めに出かけるなど注意が必要ですが、屋台行列は比較的ゆっくりと楽しむことができます。各屋台をじっくりご覧下さい。

おみやげ

どんなおみやげが喜ばれるでしょう
地酒や銘菓、飛騨牛、赤カブ漬、朴葉みそなどの飛騨古川の味、一位一刀彫、切り絵などの工芸品、飛騨の匠の知恵を生かした千鳥格子、組木などがあります。宅配便が利用できるお店もありますのでご用命下さい。
Top Page